夏の話だった話。

秋になったので書ける話。
 最初に書いておくと今回書くのは最初から最後まで陰謀論だ。思いついたときはネタとして、だったのだけど、なんだかかんだかでネタとしては微妙な話になってしまった。なのでこれを読んで、知識を得たいと思っているような人は読まないことをオススメする。この忠告が聞かれなくても文句は受け付けようがない。
と、ここまで予防線を張ったのは、まあアレな話にしかならなかったからだ。アレってなんだと言われてもアレである。ではまだついていける人は続きを読もう。


本題。夏の電力不足の話。
 冬の終わりの震災により、東北電力及び東京電力が電気が足りないんじゃないかとずっと叫ばれ続けてきた。そして節電の心がけをと、声高に騒がれた。大口の電力需要に対してはピークカットの要望が出て守らなければ罰則。個人の努力や、企業、団体としての活動、様々な話をまとめれば、プロジェクトXなり2時間映画なりを余裕で作れるほどにエピソードなり資料が出来上がるだろうがここでは触れない。前提として東北電力の電力供給に対して電力需要が99%を超えた日が何日かあったこと。大停電が起きたらどうなるかわからなかったことを把握してもらえればいい。
 自分がずっと気になっていたのが、テロだ。弱り目に祟り目、泣きっ面に蜂、電力不足で弱っているところに発電設備を攻撃される可能性はないのか、と。電力が足りないと言われているところへ、発電設備を攻撃する。被害がどうなるかわからない。そのため国レベルに対して要求をつきつけられる。
 この夏の話として書いているのは、震災前と違って、攻撃のコストに対して被害の大きいこと。大規模な範囲の人間を人質として取れる。代わりに成功してもしなくても、かなり大勢の人に恨まれる。
 もう一つ。対応に時間制限を付けられる。たとえば朝方にどこかの施設を攻撃し、要求を出し、要求を飲まなかったら昼に攻撃すると宣伝することができる。相手方は昼までに行動しなければいけなくなる。
 そして最後に嘘をつける。電力設備を実際に壊さなくても、壊すかもしれないと相手方に信じさせればいい。設備も機械なのでたまに壊れる。


 こんなことを書くと、いつもそんなことを考えているのかと問われそうだけど、なんというか皆が前を向いて同じ方向を向いているときには、後ろを見たくなる性分だということだ。人が褒めればけなし、人が悲しめば喜ぶ、そんな人間だ。嘘だ。さすがにそこまでひねくれていない。天邪鬼というより、後ろを向いている人がいた方が集団としての安全性が高いと思っているからにすぎない。
 ただまあ、普段からネットを徘徊しているのだけど、あんまりこういう意見は見なかった。たぶんきっと警備関係の会社とかでは入念に議論されて、実際にはなにも起こらなかったんだと信じたいところ。ここまで書いておいてなんだけど、実際の出来事言うよりはフィクションでありそうな話だ。
 電力会社関係の警備がどうなっていたのか気になるけれど、知ることはできない。そして結局何も起こらなかったのでネタだった。検証もできないし、今の段階で検証できたらそれはそれで怖い。もしなにかあったのなら、5年ぐらい立ったら映画化などして欲しい。
 という訳で最初はネタとして考えていた。そう考えていた。なのだけれど、菅総理がやめてしまったので、ネタとして微妙になってしまった。いや、さすがにこれでどこかの誰かから要求つきつけられてやめたとは思えないわけだけど、下手に書くと本当に陰謀論にしかならない。なので、違うことを証明する。
 
 政治には詳しくないので、総理がやめた理由には触れない。前述の方法では無理だということを証明しなければいけない。
 まず、自分が知るかぎり東北、東京電力内で機械の意図的な故障は起きていない。別の地域では報道段階でタービンが原因不明で故障というのはあったが、意図的かどうかなんてたぶん見れば分かるだろう。なので、機械がたまたま壊れたときに、これは自分がやったと喧伝した可能性はない。次、同様に電力設備に対して攻撃を行うという話も見なかった。自分がやるならば「声明を出す。→突っぱねたら壊す。→要求を飲んだらそれを全国へ向けて発表する(相手方の信頼度を下げる)」のダブルバインドで、相手を縛る。劇場型犯罪かという感じではあるが、どんな結果になってもある程度は思い通りにことが運ぶ。はず。もし仮にいたとするなら、で想定している犯人の考えていることを考えても意味はないのだけれど、世間一般にそういう要求があったことを伝えないと、一時的に要求を飲むふりをされるだけのはず。たぶんすぐ捕まるし。
 そしてまあ当たり前のことなのだけど、国はこれぐらいの脅迫はいつもされているのだろう。ほとんどがいたずらとして処理されていそうだ。

 もしこの手段をとるなら、今夏が最高の機会であったはずで、それがなかったということは、そんなことをされるほど日本は恨まれてはいないのかなあと牧歌的に考える。色々考えた上に、長々と書いたが、結局のところこの話は最初から最後まで下手な陰謀論にしかならなかった。杞憂というより藁人形論法に近いか。

 他にももう少し考えていたことがあったけれど、すでに記事が長すぎるので書かないことにする。もう少し短く見やすいように書きたいところだが、はてな記法がいまだによく分からない。終わりに、たまに河川とか工事現場に置いてある「テロ警戒中」って看板はいらないんじゃないというのがこの話のオチ。